算数・国語・芸術センス・ロジカルな思考力は
幼児期の親子の時間で、育てることができます!
いつ・何を・どうする?がわかる。
お受験合格100%のモンテ教師が教える
いつもの暮らしの作り方バイブル!
「子どもに選ばせています」のウソ
今日、息子が両足のアキレス腱を掻いて
グジグジの足をしていました。
ああ、これは気持ちからだな。と思って
息子のカラダとお話してみました。
(あ、すみません。少し怪しい?
カラダとお話することができます。私)
足が話すには
思春期に入りかけた息子さん、
自分のキャラを変えたいけれど
求められているキャラ設定もあるしなー・・・
ということでお悩みのようでした。
いい人のほうが学校は過ごしやすいな。
でもな・・・という感じのようでした。
私的には
本当は表現したい自分と
評価されやすい自分
どっちを選んでもいいんですけどね。
この選択は時間がかかるだろうな。
と思いながら放っておくことにしました。
(ただ、じくじくした足は気になります)
さて。
モンテッソーリ=選択すること
みたいな見方があると思います。
子どもに選ばせています。
洋服を2つ並べてどっちにする?
って聞いています。
という方には、たくさんお会いします。
でもね。ある日、
とあるお母さんが私のところに来て
開口一番いいました。
先生!うちの娘
今日、私の選んだ服を
着たがらなかったんです!!!って。
ふーん。
着たくなかったんだね。
と答えました。
ただそれだけのことなんですけど
お母さんはご立腹です。
なのでもう少し聞いてみました。
どっちを選んでも失敗しない
お洋服の組み合わせで
2択から選んでもらってるんじゃなかったっけ?
そうです!
でも、今日、わたしが選んだ2択の服は
どちらも着たくない。
明るい色の服を着たいといったんです。
私はこの服を着てほしかったのに
ショックです。とのことでした。
ああそうかい・・・・
(私の当時の感想です)
ママがショックだったんだね。
ママが選んだ服じゃなかったから。
* * * *
さあ、皆さん
このお母さんを笑うなかれ。です。
だって、こんな事ありませんか?
寒いから長袖の服を出したのに
半袖がいいと言われる。
なんてこと。
服ならまだいいですが
親の中で、2択を見せているけど
絶対こっちを選んで欲しいものがある。
それと逆を選んだとき
「いいんだけど、
こっちのほうがいいと思うんだ」
なんて言ってしまう。
それでも子どもが言い張って
じゃあ、そっちでいいわ!!
といいながら、内心は面白くない。
その結果、
子どもがそれで失敗したり
体調を崩したり
なにかがあったとき
どうしますか??
ほら~!だからお母さんが言ったでしょ。
っていいませんか???
でも
ほら~!だからお母さんが言ったでしょ。
と言ってしまうのは
ブー!なんです。
だって、選んだ結果を
懲罰的にしてしまうから。
お母さんの言うことを聞かないから
あなたは間違っている。
って言うことになります。
モンテッソーリと
アドラー心理学は似ているね
という人がいますが、
アドラーさんは
こうした行動はダメ。といいます。
モンテッソーリ先生は
こうした事例はいちいち話していませんが
選択を大事にする視点から見たら
ダメと言うと思います。
どちらも選択した結果に対しても
フラットにという視点は、とっても似ています。
子どもの選択を尊重するというとき
選択した結果を評価にしてはならないんです。
だって
自由にしていいよ。といいながら
ほらー!!って
それはないよね。
それから、選択をするというとき
もう一つの見方があります。
それは
服の2択を選んだからって
だからなんだい。という見方。
洋服って、選ぶのが大切なのではなくて
TPOを考えながら選んでいく
がゴール。
だから最初は二択かも知れない。
でも、そこで身につけたいのは
柄や組み合わせを選ぶ。
季節に合わせて選ぶ。
行く場所に合わせて選ぶ。
ぜんぶ「考えて選ぶ」ことです。
お気に入りの絵が書いてある半袖を着たいけれど
今日は寒いから羽織ものを持っていこうかな。
着たいワンピースを着て外に出たけど
雨が降っていて濡れてしまった。
次は、ズボンにしよう。
そういうことを
自分で考えられるようになることが
選ぶことのゴールです。
みんながいう、服の2択は
そのちっちゃな一歩なんです。
それが
子どもにあわせて子どもの環境を整える。
ということ
選んだことの責任を知ることの
本当の目指すところ。
だから、色んな本や育児情報を見て
かいつまんでいくのもいいけれど
本当のところ。を考えられるようになると
子どものいろいろな行動に
反撃しなくてすむようになります。
二択並べて選んだからって
いい大人にはならないんですよ。
あなたのあげている選択は
どこの未来につながっていますか?
コメント